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堂本剛

堂本剛が医学的治療をやり尽くすも左耳が聴こえず耳鳴りが残り『プロとしての仕事ができない』(2017年7月9日時点)

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夏フェスと平安神宮ライブはやるつもりだが、セットリストは分からない
突発性難聴発症と経過詳細:夜中の仕事中に耳が鳴って両耳聴こえなくなり、その後右だけ辛うじて聴こえる
翌日「重度の突発性難聴」と診断され、1週間通院治療するも改善せず
ドクターストップで入院し、痛い治療に耐えるが改善せず
医学的治療はやり尽くしたが改善せず
鍼灸に切り替え、激痛の治療に耐える
1カ月は爆音は絶対禁止。今も耳鳴りが残り、頭痛でライブの爆音に耐えられない
初期治療が肝心だった
目まいにつながりやすい状況で、日常生活も疲れる
いろんな人や医師に親身になってもらえた
耳に関する情報メールを望む
元気になったら難聴ファンクの曲を作りたい

2017年7月15日のbayfm78「堂本剛とFashion & Music Book」では冒頭に「7月9日に収録されたものです」とアナウンスがあり、堂本剛はいつもよりもやや早口の緊張したような声で話し始めた。

突発性難聴を患った剛は、ファンが知りたい全てのことを包み隠さず話してくれた。収録時点では剛の左耳はまだ聴こえておらず、耳鳴りも残っていて、「プロとしての仕事ができない」「音楽をやっていこうという人間が、今この状況にあるのはもう大打撃」と、剛は苦しい胸の内を明かした。

2017年6月19日の夜中の仕事中に、剛は突発性難聴を発症して急に両耳とも聴こえなくなった。間もなく辛うじて右耳だけは何とか聴こえるようになったが、ちょっとした音が頭に響く状態になった。その日は病院に行けなかった。

その次の日に受診したら「重度の突発性難聴」と言われた。本来は入院が望ましいものの仕事が休める状況になく、仕事の合間に点滴などの治療を1週間続けたものの効果が上がらず、ようやくドクターストップで入院できた。

しかし、入院して痛みを伴う治療に耐え、医学的治療は一通りやり尽くしたが回復できなかった。その後鍼灸に切り替え、またしても激痛に耐える治療を受けているが、収録時点では、剛はまだ左耳が聴こえず、耳鳴りが残っており、平衡感覚がおかしくて目まいを誘発しかねないため、普通に生活するのも疲れる状況だという。

1カ月くらいは爆音を避けるように指示されたから、当然大音量のライブはできない。夏フェスと平安神宮ライブのステージには立つつもりでいるが、どういう曲ができるかはその時の耳の状況次第だという。[追記] いずれのライブもキャンセルとなった。

音楽の才能があって音楽の道を志している者に限って聴力を失うという悲劇が、古くはベートーベンの例からあったが、まさか剛がそうなりかねない危機をはらむ病気になったとは、何という苛酷な運命だ。

ただ、原因がストレスと疲労以外思いつかないというのであれば、これは何かのお告げかもしれない。仕事をする以上、ストレスから完全に逃れることは不可能だが、強度のストレスを伴う仕事は減らすべきだ。また、運動不足を甘く見てはいけない。医者に勧められたのなら、軽い運動は絶対にすべきだと思う。

なお、剛の現状も知らずに無責任に「ヘッドフォンをすればステージでライブができたのではないか」とネットに書き込んだ人もいたが、以下の剛自身による病状説明を読めば、そんな甘いものではないのは明らかだ。とにかく、何よりも自身の体調を最優先して欲しい。

【追記 9/2】9月2日の「堂本剛とFashion & Music Book」で、剛は突発性難聴発症が6月19日だったと明言した。なお、入院は6月27日から7月4日までだった。

夏フェスと平安神宮ライブはやるつもりだが、セットリストは分からない

堂本剛は冒頭で「いろいろと番組のリスナーのみなさんにもご心配をおかけいたしましたが、無事退院をいたしましてですね」と述べた。剛のライブを楽しみにしているリスナーからのメールを紹介し、剛はライブ予定に言及した。

「まだ完治をしていないので、フェスをどの状態で出るかとかですね、平安神宮をどういうセットリストにしてやればいいのか、その時になってみないと分からないんですけど。一応やる方向ではいるんですけど。その辺は追い追い、どんな出演時間とか、どんなふうにステ―ジで最大限できてこれとか、ちょっとその辺が分からないんですけれども。今のところステージには立つ予定ではいます」

ここで剛は「T & U」をかけた。”剛とYOU”とも解されるタイトルのこの曲は、2016年6月発売のミニアルバム「Grateful Rebirth」に収録されている陽気なファンクだ。ライブでファンに逢いたい、という剛の気持ちが伝わって来た。

剛は入院した剛の病状を気遣うファンからのメールを複数紹介した。剛のために折り鶴を折ったり、名古屋の「龍耳社(りゅうじしゃ)」という耳の神様の神社にお参りしたファンもいた。

「入院している時は、本当は晴れてて欲しかったんですが、ほぼ雨というね。原因が分からないと言われているんで。分からないと言われると、こっちも分からないしな、みたいなところがあるんですけど。大体挙げられるのがストレス、疲れ。でも、ストレスと疲れは、まあ常にありますから。だから、うーんって感じですけど。僕もなりたくてなった訳ではなくて」

突発性難聴発症と経過詳細:夜中の仕事中に耳が鳴って両耳聴こえなくなり、その後右だけ辛うじて聴こえる

「急に。大雨の前日ですね。頭すごく痛かったんで。僕、前から気圧に結構弱くて。で、偏頭痛がちょっとひどいなあなんて思ってたんですけど。そしたら仕事中夜中『バン!』って鳴っちゃいまして。もう、水中に潜った感じですね、急に。で、全く聴こえなくなって。両耳がまず、あれって感じになって。で、右耳だけ辛うじて、あれ、何か陸に上がったかな、みたいな感はしたんですけど。たとえばこういう紙をこうする音(紙の音を鳴らす)、の周波数のそこだけがやたら聴こえてきて、メチャクチャそれがまた耳に付いて痛くてですね、頭に響くっていうのが最初の日で。え、これ何?って思って。鼻で閉じて耳抜きとかしてみたんですけど、全然ダメで」

「で、ちょっと不安だったんで。次の日ももちろん仕事がずっとあったから。『ちょっと病院この後行きたいな』って言ったんですけど、『今この時間に病院に行っても、大した処置はできない』みたいな感じの返答が返って来て。その日はだから、そのまま帰ったんですよ」

翌日「重度の突発性難聴」と診断され、1週間通院治療するも改善せず

「で、次の日が仕事だったんですけど。右が聴こえなくなっちゃったら仕事がよりできないから。右も辛うじて聴こえてたぐらいなんで。『ちょっとこれは、病院にちょっと30分待ってもらって、みなさん。それでちょっと病院だけ行かせて』って言って。『それで空気抜いて現場に戻りたい』って言った」

「で、行ったら『重度の突発性難聴ですよ』って言われて。だから好ましいのは、『すぐ入院して点滴をして、ステロイドを打つんですけど、みたいなことが本当は好ましい』と言われて。ただまあ、スケジュールがあるんですけど。確かにネットでみると、24時間以内とか48時間以内の処置が大事ですよみたいな話があったりとか。まあいろいろあったんで。よりね、みんなに迷惑かけるのであれば、この今の一週間で迷惑をかけたほうがいいんじゃなかろうかとか。僕1人の話じゃない話とか、いろんな話につながっていっちゃうから、と思って、いろいろしたんですけど」

ドクターストップで入院し、痛い治療に耐えるが改善せず

「結局、その入院っていうのも、ドクターストップがかかってしまって。『入院したほうがいい』と言われ。だから一週間後くらいですかね、入院できたのが。発症して。その間は仕事の合間で点滴して、内服飲んでってしたんですけど。まあ重度なんで、それだと回復しないのと、後遺症のリスクがでかくなるから。とはいえ、『仕事があって』みたいな感じで。僕にはどうすることもできないっていうか。なってしまった僕は、何かが、そのね、スケジュールが変わらない限り休めないし」

「取りあえず、ドクターストップかかって、入院ってことになったんですね。そっからもう毎日、4時間半から5時間かけて点滴を打ち。でまあ、血管の中の炎症起きますしね。何か痛~てしゃあなくて。鼓膜にもステロイド注射打ちましたし。で、高酸素気圧マシーンってやつに入りまして。宇宙船みたいなやつに2時間入るみたいなのを取り敢えずやるんですが」

医学的治療はやり尽くしたが改善せず

「それで結局、体内に入れるステロイドの量も決まってますし。上限超えるともう無理なんで。それも入れちゃったから退院になるんですけど、結局は。治ったから退院ってわけじゃなくて。マシーンも、入れてあと5回は入れるんですけど、回数が決まってて。耳のステロイドも4回打ったんですけど。4回目で先生の判断で、『ステロイド打ってて、あまり変化がもうないので、ストップしましょう』というのをこの間言われて、耳の注射もストップしたんで」

「医学的治療みたいなやつは、取りあえずストップなんですよ。その状態で今、まだ耳鳴りはしてて。まあ左がほぼ聴こえてなくてって状況で。右耳をふさぐと、何を言っているかも分かんないって状況が左なんで。これが僕の現状なんですよ。一応先生に退院して、『どうすればいいですか?』って言ったら、『リラックスして、ストレス発散してください』とか(笑)、『休んでください』とかしか、お医者さん的にはなくて」

鍼灸に切り替え、激痛の治療に耐える

「それで、僕のミュージシャン仲間とかの、周りの人とか、いろんな人がとにかくいろいろ調べてくれて。これが効く、あれが効くみたいな、いろいろ調べてくれて、いっぱい連絡くれて。それで今は、“最終段階”というと変なんですけど、とりあえず鍼灸のほうに切り替えて、そこに賭けているところなんですけど。相当な激痛でですね。もうやりたくないと思うんですけど、やらないと仕方がないんで。また痛みに耐えるみたいな日々を。あと何回か、それも2時間半とか3時間ぐらいずっとやるんですが。そこまでやらないと、戻らない可能性が高いから、早めにそういう処置をしなきゃいけないよねっていう段階を、今生きてるという感じですね」

1カ月は爆音は絶対禁止。今も耳鳴りが残り、頭痛でライブの爆音に耐えられない

「取りあえず、退院して1週間とか、まあ1カ月とかくらいは、爆音は絶対禁止です、というドクターストップがかかってしまっていて。それをしてしまうと、もしかしたら良くなったかもしれないことが、ダメになっちゃう。今、実際だから、前ほどは音がうるさくはないんですけど、ひどい時は、ご飯食べている時にそしゃくするたびに、ファーンファーンファーンファーンって鳴っているんですよ。それでもう食べるの疲れるんです、うるさいから、みたいな。で、外気の音がボーンと出た時に、土管の中でバーンと響くみたいな感じで」

「爆音を聞かないほうがいいですよ、と言われているみたいな状況で。そうか、と思って。取りあえず、1カ月くらいは音の仕事ができなくて、という状況があるんですけど。だから最悪、音がちっちゃければ、音の作業とか音を作るというのはできると思うんですけど、この耳でも。左聴こえてないんですけど。でも、ライブをやるとなったりとか、爆音にさらされるという状況が、ちょっとやっぱりどこまで耐えられるのか、今全然分からなくて」

「今の僕はもう、残念ながら、全く耐えられないんですよ。頭が痛すぎるっていうか。聴こえないくせに変に敏感になっているイメージなんですけど。よく映画とかで、爆発物がドンと爆発した時に、一瞬音が消えてピーってなる、あの感じがずっとあるみたいなイメージがあるんですけど。何か音が左から入った時に、全部ハウるんですよね、フアンって。膨張するっていう。音が倍増して耳に入ってくる。これが結構厄介で」

「だから日常生活も、取りあえず『運動はしてくださいね』みたいなことを言われてるんですけど。血流をよくしなければいけないから。ただ耳は、毛細血管すごい細い血管なんで。たぶんおそらく鍼灸とかのほうが、僕の体には合ってるかもなって感じがするんですけどね。だから、その先生とかも、いろんな人が架け橋でつないでくれて。その先生に辿り着いて、すごく良くしてもらって。いろいろ何かこう話しながら、全身全霊でいろいろやってくださってるんですけど。だから、急になるかもしれないし、結構長引くかもしれないしとか、もうその辺全然分からないなっていう」

初期治療が肝心だった

「みなさんも気を付けたほうがいいのは、気圧最近変じゃないですか。耳鳴りしたなとか、耳詰まったなと思ったら、取りあえず1回病院に行って。24時間あるいは48時間以内の対処が一番後遺症に大事な時間なんで。そのうちにちゃんと何かをしたほうが絶対いいから。これでほったらかしてしまうと、本当にもう戻らない。ひどい人は」

「僕もずっと今そうなんですけど、左が聴こえないんで、私生活すごい普通に疲れるんです。要は、平衡感覚がおかしくなるんです。だから、目まいを誘発するようなムードもあって、それがすげえ疲れるなと思うから。だから、みなさんも、ちょっとでもあれっと思ったら、取りあえず病院行ったほうがいいですよ」

目まいにつながりやすい状況で、日常生活も疲れる

「で、この突発性難聴っていうのは、なめてかかると危ないし、本当に一生のね。僕なんて特に音楽をやっていこうという人間が、今この状況にあるのはもう大打撃で。ただ、気持ち的には、1人で自分で何かやる分には我儘がきくんで、ステージには立ちやすいんですけど、そうも言ってられないところがいろいろあったりするでしょうけど。その時にまた迷惑かけることはちょっとあると思うんですけど。今現状、僕がそうなんで、ちょっと長い目で見て頂ければ、すごく救われるかなあと思っているわけでございますけれども」

いろんな人や医師に親身になってもらえた

「みなさんもこうしていろいろとお参りに行って頂いたりとかね。僕のことをね、ニュースで知っていろいろ声をかけてくださる方がいるんだな、みたいなこととかね。そういうことを改めて知れたというのが、とても励みにもなりますし、勇気にもなります。蜂の子の佃煮がいいとかの謎の情報が飛んで来たりするんです。初めて蜂の子の佃煮を食べましてね」

「病院の先生も、すごく親切にしてくださって。担当じゃない人なのに親身になってくださったり、病院つないでくださったり。いろいろ大変ですね、生まれが奈良なんでね、みたいな話とか、都会は疲れますねとか。いろんな話を人と久しぶりにしたなという印象もあったり」

「先生方も親身になってくださって。『目先の物事よりも、将来のご自身の耳のこととか、活動のことっていうのは、ちゃんと周りも含めて深く捉えなきゃいけない問題ですからっていうことで、ちょっと厳しい問題として、そこは深刻に受け止めなければならない状況にいるからっていうことで、ドクターストップをかけさせてください』と。先生方も本当に、僕の未来を守ってくださるように、いろいろと選んでくださったなあという感じはあります。みなさんには大きなご迷惑をかけたんですけど、『ちょっとお時間を頂いて、いろいろやらさせて頂いて、退院後のケアも慎重に行わないといけない』と言われていまして」

耳に関する情報メールを望む

「また随時、僕の耳新聞をみなさんにね、お伝えしようと思ってますんで。ウェブとかでメッセージをしようかなと思ったんですけど、『ちゃんと退院してからにしなさい』と言われて、『はい、わかりました』 メッセージもできないんで、ずっとウズウズしてたんですけど。ラジオを借りていろいろ話させて頂いてるんですけれども、特に心配して頂くことはないんですけど。心配はして欲しいんですけど(笑)。まだ完治してないんでね」

「だた、もうちょっといろいろ、鍼とか、いろいろやってみながら様子見ないと、全く使い物にならない、プロとしての仕事ができないっていう現状が今あるという。だから、プロとしての仕事をしなければいけないのであれば、ちゃんと治さなきゃいけないので。もう数日ちょっと頑張ってみて、どこまで戻るか、いろいろみんなに一生懸命力を借りて、頑張ってやってみようかなというふうなことでございますので。みなさんには、もうしばらくお待ち頂ければなと思います。耳にいい食べ物とか、耳にまつわるメール、お待ちしています。耳よりな情報待っておりますので、何かありましたら送って頂ければ、僕もすごく救われます」

元気になったら難聴ファンクの曲を作りたい

(剛のバンドのギタリストの)竹内君が骨折した時に作った曲なんですけれども「Break a bone funk」という曲を聴いて今日はお別れしたいなと思います。僕も今こうなりましたんで、せっかくなんで、もうちょっと元気になったら、今、難聴ファンクっていうのを考えていまして。そういうふうにしていかなければ。経験を音楽にしていくとかですね、歌詞にしていくとか、いろんなことをしていきたいと思っていますんで。もうちょっと元気になって音楽を作れるようになったら、難聴ファンクも作ってみたいなと本当に思っていますんでね。その日が来るのもまた楽しみにして頂きたいなと思います。

最後にかけた「Break a bone funk」もミニアルバム「Grateful Rebirth」に収録されている。とにかく剛は体調第一。完治しますように。



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